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(子持ちセミリタイア予定者が読む)【読書】働かないの/群ようこ


会社を辞めて、貯金した3000万円を切り崩しながら月10万円で暮らす48歳のセミリタイア小説でした。設定がおもしろい。今年、30代にして夫婦揃ってセミリタイアをする私にも当てはまるかもという感覚もあり、一気に読みました。

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「今後の参考にしたいので、どうして働きたくないと思われたのか、教えていただけませんか」

「もう一生分、働いたと思ったからです。朝から深夜まで、嫌なことも理不尽なことも我慢して。その分高給だったので、我慢できるだけ我慢して、お金を貯めてやめたのです。なので働く気はもうありません」

どうして働かないのかを純粋に疑問に思う、市役所職員との会話。働けるのに働かない選択をするのは、贅沢であり変わり者という世間の風潮、あるある、、、

月10万円なので家は古く、日常は支出を気にする慎ましい生活。
「ひっそりと穏やかに自分の納得感を大切に生きたい」と会社を辞めた彼女は、しかしふとしたきっかけから始めた刺繍を通じて挑戦と挫折、人と比べて自己否定するなどを再び経験することになります。

それに比べて自分はいったいどうなのだろうと振り返った。(中略)彼女たちに比べて、自分は女としても人間としても未熟のような気がしてきた。会社はやめちゃったし、結婚もしてないし、ただずっと毎日を過ごしているだけ。

世の中の基本的な成り立ちからおりたくせに、可能性だの何だのと言っている自分に、キョウコは呆れてしまった。自分がこういう生活を選んだのは、毎日、穏やかに人になるべく迷惑をかけず、納得して生きたいと思ったからだったのではないか。

可能性があるということは、野心を持つことでもある。

何もしないことを選択したのに何もしない状態に疑問を抱いてしまう、目標に向かって毎日を過ごすひとと自分を比べて勝手に落ち込む、この辺は私が仕事を辞めるにあたってまさに懸念していることです。仕事をしない自分を、自分は受け入れられるのかなあというのをずっと想像して見ているのですが、うまく実感を伴いません。

仕事をしてお給料をもらうというのは、何か生産的なことをした証として自分を肯定しやすく、「少なくとも私は自分の力で自分を食べさせることができている」という自立できている安心感もあります。辞めてしまったら、自分は何によって自分を肯定するんだろうかというのは、わりと気になるところではあります。

それに対する友達のことばが好きで、

「会社をやめてそういう生活をしても、まじめすぎるのよ。こうあらねばならぬって、いつも考えているんじゃない。せっかく何をしてもいい立場になっているんだから、気楽にしていればいいのよ」

というの、言っていることはわかるし人と比べるものではないと思いつつも、みんなもがきながらやっているのに自分は仕事を手放したというのが負目になりそうな、働いてきたときに培われた私がボーッとする私を見ているような気持ちになる気がしますが、どうなんだろう。

仕事が相変わらずの繁忙期の中、癒しのあるライトに読める小説を求めて久しぶりに再読しました。
初めて読んだのは確か10代だったような気がするのですが、その頃の印象よりもずっと面白く読みました。30代以降の人生考え始める世代にフィットするのかなあと思いました。

読む時の自分によって受け取り方が全く変わってくるの、自分自身の変化も感じられて楽しいです。

これまでに発売されているシリーズ全6巻の、2巻目です。
1巻目はこちら。(タイトルに番号ないので分かりづらいですね、、、)

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