2016年に出版された「一汁一菜でよいという提案」この8年強の間にさまざまなライフイベントがありましたが、折に触れて読み返してきました。
どんなライフステージにあっても、読んでいると、文字と共に土井義治さんのピカーンな笑顔が思い起こされて元気をもらえます。
特に前半3章の
「今、なぜ一汁一菜か」
「暮らしの寸法」
「毎日の食事」
が、たまらない。
人間は食事によって生き、自然や社会、他の人々と繋がってきたのです。食事は全ての始まり。生きることと料理することはセットです。
暮らしにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰ってくる生活のリズムを作ることだと思います。その柱となるのが食事です。一日、一日、必ず自分がコントロールしているところへ帰ってくることです。
p9
男女とか年齢とか、独身既婚とか社会的な立場とか、そういうの一切関係なく、生きることの柱となる食事は誰もが自分らしくあるために大切なことだよ、というこの主張は、丁寧な生活に憧れつつも仕事の忙しさを理由に暮らしをおろそかにする当時の自分を、叱咤激励してくれていました。
脳が喜ぶおいしさと、身体全体が喜ぶおいしさとは別だと思うのです。
身体は鈍感、ということでもないですが、すぐにはわからず、食べ終わってから感じる心地よさのような感覚、身体が綺麗になったような気がする…というあれです。
p18
メディアでは「おいしい」と盛んに言われていますが、繰り返し聞かされている「おいしいもの」は、実は食べなくてもよいものも多いことがわかります。
今は仕事も辞め、子供を育て3食自炊し、8年前の自分とは別人のような生活をするようになりました。
あの頃の理想には確実に近づき毎日料理をするようになった今、かつては姿勢を正されるようにな気持ちで読んでいたこの本を読むと、自分を肯定し、背中を押されるような気持ちになります。
ただ、食事の根源的な意味を考えようとしているのです。一人ひとり全ての人の命を作るものだからです。そして、その最低限のことをおこなうことが、一人ひとりの幸福のための行動だと信じるのです。
自分自身を大切にしたいと思うなら、丁寧に生きることです。そうすることで、自分の暮らしに戒めを与え、良き習慣という秩序がついてくるのです。
幸福のために生きるということ、その柱となっている食事の根源的な意味を考えることを、丁寧に、寄り添って、優しく解かれると、自分が何を求めていたのかだんだんクリアになっていく感覚があります。
食事を作ることが面倒になることは今もあるけど、「簡単なものでええんやで」と土井さんの顔が浮かんできては励まされる本です。
ちなみに後半はレシピが出てくるのですが、そちらは斬新で笑える。