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ミニマリストでサイドFIREな地方移住民。旅行とか育児とか

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【ミニマリスト読書】やめてみた/わたなべぽん

「なんとなく使ってきたけれど、本当に必要かわからないもの」「なんとなくモヤモヤする考えグセ」を思い切ってやめてみた、エッセイ漫画。
わたなべぽんさんは他にも
「スリム美人の生活習慣を真似したら1年間で30キロ痩せました」

ふだんエッセイ漫画はあまり読む機会がないのだけれど、ダイエットやら断捨離やらで片っ端から本を読んでいたジャンルにいつもわたなべぽんさんがいらっしゃり、今では見るとうれしくて手にとってしまう作家さんです。

中でも読み終わったあとに号泣したのが
「自分を好きになりたい」という本で、これについてはまたどこかで書けたらいいなと思っています。

ぽんさんがやめてみたものについて、まずは「炊飯器・TV・絨毯・マット類」などの定番(?)ものから始まります。その後は「コンビニ・ケータイゲーム・スマホ」などのライフスタイルに関わるものへ、さらには「否定から入ること・自信を持ちたいと思うこと・モヤモヤする友達づきあい・忙しく充実していたいと思うこと・すみませんとまず謝ってしまうこと」など思考へと「やめてみる」の範囲が広がっていき、断捨離をすすめていくときに起こる変化が読みやすいのにすごく的確にまとめられています。

最後のまとめで

「好き」と言うのは自分の趣味嗜好が他人に伝わってしまうということ。自分に自信がない私は、胸を張って「〇〇が好き」と言いづらかったのです。
でもこのところの「やめてみる生活」で自分の好きなもの使いやすいもの暮らしやすいものはなんなのかじっくり考えて選ぶようにしたら、自分の意見を尊重できるようになった。

いらないものをやめてみたことで、思いがけず「本当に大切にできるもの」に気づくことができた

p118

好きなものを、「いつどんな場面でも誰に対しても」好きだと言える人って、すごく自己肯定感が高い人だと思います。私もぽんさんと同じように、ミニマリストになったあとそれまでの自分が嘘のように、好き嫌いだけでなく何事に対しても、臆すること自体が減りました。

「やめることについて考えてみた」とライトな雰囲気でありながら、実際はあらゆるものを0ベースで考え直したり自分自身を内省したりと、ずっしり「断捨離」だと感じました。

こちらシリーズ化されており、「もっとやめてみた」「さらにやめてみた」と続きます。一度断捨離をやり切ったら汚部屋へリバウンドすることはないというのが、続編によって証明されているのも印象的です。

お読みいただきありがとうございました。

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【読書】一汁一菜で良いという提案/土井善晴は最高のエール本だと思う

2016年に出版された「一汁一菜でよいという提案」この8年強の間にさまざまなライフイベントがありましたが、折に触れて読み返してきました。
どんなライフステージにあっても、読んでいると、文字と共に土井義治さんのピカーンな笑顔が思い起こされて元気をもらえます。

特に前半3章の
「今、なぜ一汁一菜か」
「暮らしの寸法」
「毎日の食事」
が、たまらない。

人間は食事によって生き、自然や社会、他の人々と繋がってきたのです。食事は全ての始まり。生きることと料理することはセットです。

暮らしにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰ってくる生活のリズムを作ることだと思います。その柱となるのが食事です。一日、一日、必ず自分がコントロールしているところへ帰ってくることです。

p9

男女とか年齢とか、独身既婚とか社会的な立場とか、そういうの一切関係なく、生きることの柱となる食事は誰もが自分らしくあるために大切なことだよ、というこの主張は、丁寧な生活に憧れつつも仕事の忙しさを理由に暮らしをおろそかにする当時の自分を、叱咤激励してくれていました。

脳が喜ぶおいしさと、身体全体が喜ぶおいしさとは別だと思うのです。

身体は鈍感、ということでもないですが、すぐにはわからず、食べ終わってから感じる心地よさのような感覚、身体が綺麗になったような気がする…というあれです。

メディアでは「おいしい」と盛んに言われていますが、繰り返し聞かされている「おいしいもの」は、実は食べなくてもよいものも多いことがわかります。

p18

今は仕事も辞め、子供を育て3食自炊し、8年前の自分とは別人のような生活をするようになりました。
あの頃の理想には確実に近づき毎日料理をするようになった今、かつては姿勢を正されるようにな気持ちで読んでいたこの本を読むと、自分を肯定し、背中を押されるような気持ちになります。

ただ、食事の根源的な意味を考えようとしているのです。一人ひとり全ての人の命を作るものだからです。そして、その最低限のことをおこなうことが、一人ひとりの幸福のための行動だと信じるのです。

自分自身を大切にしたいと思うなら、丁寧に生きることです。そうすることで、自分の暮らしに戒めを与え、良き習慣という秩序がついてくるのです。

幸福のために生きるということ、その柱となっている食事の根源的な意味を考えることを、丁寧に、寄り添って、優しく解かれると、自分が何を求めていたのかだんだんクリアになっていく感覚があります。

食事を作ることが面倒になることはたくさんあるし、袋麺の買い置きなんてしちゃおうかしらとふと魔がさすときもあります。
ただ、自分が空腹を満たすという直接的で表面的なことではなく、食べることによって得たいものは何かを思い起こす時に、土井さんの顔が浮かぶというような、そんな本です。

ちなみに後半はレシピが出てくるのですが、そちらは斬新で笑えます。
今では「なんでもありやからな」というのが、一汁一菜を読んだ私たち夫婦の味噌汁へのスタンスになっています。

ミニマリストの引っ越し見積もり

夫婦+4歳の3人で暮らしています。
今は神戸に住んでいますが、セミリタイアしたのでかねてよりの希望だった宮﨑へ引っ越します。

子持ち30代、夫婦でセミリタイアすることにしました

子持ち30代、夫婦揃ってセミリタイアしたあと

ミニマリスト30代夫婦・セミリタイア後の家探し

7月に引っ越し予定なのでまだ少し先ですが、GWが明けたら旅行でバタバタしそうなので、何事も早めにと見積もりを取りました。

一応予算は多めに50万円と見積もっていましたが、

の2つで、実際どんな見積もりになるのかを楽しみにしていました。

長距離引っ越し、業者が限られる

引っ越し自体は7回目ですが、うち6回は転勤によるものだったため、自費では2年前の諸事情による同一区内での転居1回のみです。

見積もりにあたって、前回も今回も引っ越し侍という比較サイトを使いました。大まかな家財を入力すると、複数業者に一括で見積もり依頼を出すことができます。
大手の方が比較的トラブルが少ないと見聞きするので「できれば大手に依頼したい」と思いつつ、連絡をいただけたところからはとりあえず見積もりをお願いしようと思っていました。

結果、連絡自体が2社からしか来ず、今回のような長距離引っ越しでは複数拠点を持つ業者でないと対応できないのかなと思いました(推測です)。
前回は見積もり依頼直後から電話が鳴り止まず、結局5社が訪問見積もりに来ていただけたので、今回かなり拍子抜けしました。もしかしたら依頼したタイミングもあるのかもしれません。

ミニマリスト家族の引っ越し、見積もり結果

今回来ていただけたのは、業界大手2社。

そして気になる見積もりは、こちら。
1社目・¥149,600

そして2社目・¥207,350

はじめに書いた通り、引っ越しの予算は50万円で考えていたので、それは大幅に下回っています。
長距離・家族3人の引っ越しの相場は¥220,000らしいので(引っ越し費用相場)それも下回っています。

ですが、3人家族で通常期(5月~2月)に500km以上の引越しをした人の費用相場と口コミと、実際の口コミの荷物量と業者を見ていると、「もうちょっと安くできたのでは」とも思うのが正直な感想です。
というのもいくつか理由があって

  • 営業の2人ともが「単身用でいけますね」と仰っていた(なんでこんなに荷物ないんですかとも)
  • 先ほどの費用相場によると単身用(荷物多め)の相場は9万円
  • 7月中であれば日時指定がほぼなかったこと

などで、口コミ相場を大幅に下回るような最安値を期待していた自分がいました。

早く見積もり取りすぎたのかもとも思いましたが、まあ予算内だし、想像よりもまあ低い(なんだかんんだ実際30万円くらいの見積もりだろうと思っていました)しと、より安い1社目に決めました。

ちなみに2社の費用差は、チャーター便か混載便かというのが大きな違いです。
要は相乗りのようなものなので安くできます、という感じ。でも時間はかかるし(今回であれば中2日)、荷物の紛失リスクも増えます。
2社目はチャーター便での見積もりでしたが、混載便でいいなら3万円引きますと言ってくれていました。

ミニマリスト家族の引っ越しは15万円

今回の引っ越しは、

  • 長距離(850km)
  • 閑散期
  • 混載便を利用
  • 日付指定なし
  • 家族3人ミニマリスト

で15万円です。


今ある家具(ダイニングテーブルだけですが)と家電(冷蔵庫・洗濯機・レンジ・TV・電動自転車)はすべて持っていき、エアコンと洗濯機の取り付けも含んでの料金です。
エアコンを設置するときの新しい配管も入っている(前回引っ越しでは知らずに、当日1万円を払いました、、)

ちなみに前回の同一区内の引っ越しは、

  • 同一区内
  • チャーター便
  • 午前に出しから受け入れまでの作業全て完結予定
  • 日時指定あり

で5万円でした。

ミニマリストの引っ越し・残る1つの大きな問題

ピアノがあります。

ピアノは別業者に委託になるので、別で見積もり依頼中です。
念の為家財の業者に確認したところ、¥95,000追加で依頼は可能とのこと。高いですね、、、

もういっそ手放そうかなと頭をよぎりますが、やっぱりそれはできないです。

ということで、引っ越し見積もりはまだもう少し続きます。

お読みいただきありがとうございました。

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ミニマリストだけど広い家に住みたい。3人家族の間取り

30代夫婦+4歳児の3人で暮らしています。

ミニマリストはモノを置くスペースが必要ないので狭い家に住めるので家賃を抑えられるというのをメリットでよく見ますが、いやモノの量と生活スペースの広さは全然関係なくない?と思っています。広すぎると掃除の大変さはあるけど、心の余裕に直結すると感じるので広いに越したことはないと思ってます。

ミニマリスト3人家族の間取り

そんな我が家の間取り。今は、家族3人で社宅に住んでいます。築年数はおそらく25年ぐらいだった(忘れた)と記憶しており古めではありますが、3LDKで85平米ほどと広めです。

間取りとしては玄関を入ると廊下をはさんで左右に個室(それぞれに収納あり)があり、突き当たりにリビング、リビング横に襖で仕切られた和室が1室となっています。我が家ではリビング横の和室の襖を撤去しているため、実質2LDK+広めリビングの間取りで暮らしています。

ミニマリスト家族のリビング①ダイニング

2つある個室の使い方は、1つが夫の在宅勤務部屋、1つが家族全員の寝室です。夫もミニマリストなので、リビング以外の部屋にも必要最低限のものしか置いていません。収納も使っていないところがあり、全体的にゆとりを持った空間で暮らしています。

ミニマリスト、何平米の家に住めればいいのか

下記の表は国が定める最低居住面積、これぐらいあれば健康で文化的な生活が送れるよと示しているものなのですが、我が家は3人で子供は4歳なので、表によれば35平米ということになります。わお。

参考:住生活基本計画における居住面積水準国土交通省

ちなみに都市型=マンションなど、一般型=戸建というざっくりした理解をしております。戸建は階段などの間取りが必要なので広い数字になっているのだと思います。

この表を見ながら自分がこれまでに住んだ家を思い返すと、独身時代に住んでいた家は3つで、それぞれ22㎡→28㎡→45㎡でした。そして結婚してからは、75㎡→55㎡→85㎡と変わってきて今に至りますが、それぞれの家への愛着度と居心地の良さを思い出してみると、私にとって広さと快適さはわかりやすく正比例している気がするのです。

我が家はミニマリストでなのでモノの量だけ考えれば40平米代でも余裕な気がしますし、実際にそれくらいの広さでおしゃれな暮らしをされている方はたくさんいらっしゃいます。欧米でもタイニーハウスがブームらしいですし、家賃もおそらく安いので、社宅でなくなってもダメージも少ないです。

ミニマリストなのに広さにこだわる理由

「駅近」や「築浅」など、重視するものは人によって違うかと思います。私も一瞬挟んだ55㎡の家がなければ、もう少し違ったことを思っていたかもしれません。
ですがあの家での暮らしを思い返すと、どこがどう狭いというのはないのですが、なんとなく感じる居心地の悪く、たった1ヶ月の間ですら徐々にストレスを感じるようになりました。夫とも「早く社宅決まらないかな」と話しており、結局1ヶ月でいまの社宅が決まり引っ越した時には大きな解放感を感じたことを覚えています。そしてこれまでで間取り的に1番広い今の家を、これまでで1番気に入ってもいます。

お金の心配がまっったくなくなったら、家を建てるかもしれませんが、基本的には理想の全てを実現した家に住めるなんてことは一生ないかなと思っています。
優先順位をつけて選ばなければならないのであれば、私が重視したいのは利便性や効率よりも広さだなと感じています。

ミニマリストの意味ないやーん」というツッコミが自分から飛んできますが、目指しているのは快適に暮らしていくことなので、その意味ではミニマリストであることと広い家に住むことは同一線上にあるのかなと感じます。

お読みいただきありがとうございました。

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30代でセミリタイアしたことでの緊張感や罪悪感

30代夫婦+4歳児で暮らしています。
2023年3月に私が退職、4月には夫が退職し、夫婦揃ってセミリタイア生活に入ります。

一足先に退職してから早くも1か月以上が経ち、

30代セミリタイア・2週間が経ちました。

に続く、1か月での気づきです。

セミリタイア1か月で気付いたこと 生産性について

「生産的な人」「生産性を高める習慣」など、建設的であることが正しいという価値観を持っていました。改めて「生産性」とは何か調べてみると、

生産的という言葉の「生産」とは、生活に必要な物資などをつくりだすことや、人間が自然に働きかけ財やサービスをつくりだす活動を意味します。生産的とは、自分から物を作り出すさま、有効な結果が期待されるさまを意味する言葉です。

https://reibuncnt.jp/14486

対義語は「非生産的」で、こちらの意味は

意義のある成果をろくに生み出さないさま。生産的でないさま。

https://www.weblio.jp/content/非生産的

成果をろくに生み出さないってずいぶん強い言葉な気がするんだけど、それはまあいいや。

長いあいだ、特にまだ若く体力もあるうちは「人は生産的でなければならない」と思っていました。
そして、私は自分ひとりの力では会社で働く以上に生産性のある行動はできないだろうから、私にとって生産的であること=会社で働きお給料をいただくことだとだと思っていました。

この1か月、ふとした時に「辞めてよかった」と自分に言い聞かせていることに気付き、仕事をしていてもらえるのはお金だけでなく、自立していることでの精神的な安定もたしかにあったことを再認識しました。

セミリタイア1か月で気付いたこと 罪悪感について

上に書いたようなことを感じつつ、しかし1か月経ったいまも生産性がないとされる生活を送っていることに罪悪感は(今のところ)ありません。言い聞かせてるしね。働かない自分を受け入れられるのかと思っていたのは事実だし今後どうなるかわからないのですが、一方で”今日も仕事がない”ということが新鮮にめちゃくちゃうれしい。

30代、セミリタイアすることにしました

先日振り込まれたお給料を見て、あの日々にはこれだけの金銭的な価値があったのかということに、離れたことでこれまで以上の驚きを覚えはしましたが、やはりお金はわかりやすいけれど生産性の指標にはならないのかなと思いました。
もちろん生きていくにはお金が必要だし、賃金は生産性を換算したものだと理解しつつも、振り込まれるお給料の対価として具体的に私が何を生産していたのかについて、いまだに答えを持てないでいます。ものごとを俯瞰で見れないからだと思うのですが、元自社に限らずなのかもですが、会社において生産性を高めていくことが、回り回って結局なにに行き着いていくのかが、10年働いてもまだあんまりよくわからないなという感じです。

そのような感じで罪悪感はないのですが、穏やかに静かな生活がしたいわけではないので、「自分のなりたい自分になれるのか」という焦りはこの1か月でより一層感じるようになりました。

セミリタイア、やっぱり資産形成しててよかった

新鮮な嬉しさを毎日感じたり、焦る気持ちが出てきても”とりあえず一旦リフレッシュしよ”と自分に言い聞かせられるのは、間違いなく資産形成してきたおかげです。

あと自分に対して漠然とした不安のようなものを持っているのですが、資産はそれを多少なりとも実際的に緩和してくれているなと感じます。

しかし今は時折ふっと掠める程度の罪悪感のような感情、この生活が1年続けばきっと大きくなっていくことでしょう。。。 怠惰な生活がしたくて辞めたのではなく、自己実現していくために辞めた。ということは、自己実現できなかったら・・・?という感じです。

お読みいただきありがとうございました。

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ミニマリストでいるメリット

我が家は夫婦と4歳児の3人で社宅住まい。子どもがいても(いるからこそ)ミニマリストでいることにとてもメリットを感じていますが、びっくりされることや、過激な(?)方には「何が楽しいの」「やることが極端だ」などと言われるので、いちど私の感じるミニマリストでいるメリットを整理したいなと思い、この記事を書くことにしました。

ミニマリスト・何もないからなんでもある

3月は、引っ越しのハイシーズンです。私たちが住んでいる社宅も入退去が多く、連日何台もの引越しトラックがとまっていました。その際、同じ間取りであるはずの家たちに運び込まれる荷物の量に改めておどろき、家族の人数や子どもの年齢によって必要なものは全然違ってくると理解しつつも、純粋にあれだけのものを家の中に入れたらどんな感じなんだろうとも思いました。

ミニマリストは、モノを最小限しか持ちません。「あってもなくても良い」というグレーゾーンが限りなく狭く、必要最低限で暮らします。新たにものを買うときも、とても慎重です。

そのような姿勢でモノと向き合っていると、モノを通して自分の価値観を理解するようになってきて、「あってもなくてもいい」ものは自分には不要なものだということが迷いなく分かるようになりました。
それを続けていくと、絶対にほしいものってそんなにないんだなあとどんどん気づき、お金と心にゆとりを持つことができるようになりました。 ついでに、モノを買うときに迷う時間やメンテナンスの時間も不要になるので、時間にも余裕がでます。

「何がたのしいの」という質問の答えは、自分の興味があることに没頭する金銭的・時間的・精神的な余裕を持てるようになったことかなと思います。たとえばセミリタイアのような大きな決断は、ミニマリズムの価値観なしには一生達成することがなかったと思います。

センスのなさが問題にならない

あと私にとってめちゃくちゃラクになったことは、モノがなければセンスが問題にならないということ(!)。

友達の家に行くとそのおしゃれさにびっくりしますが、自分がやるのであれば、たとえば「壁に絵を飾る」なんてできる気がしません。どんな絵をどこで選んで何で掛ければいいのかと途方にくれている姿が想像できます。

”雑誌に出てくるようなおしゃれな部屋に住みたい”という欲もないですし、何もなければ「殺風景な家だな」と思われることはあっても「センスがないな」とはなりません(?)

とてもおしゃれな友達にセンスがすごい、と言ったら「場数で磨ける」と言われましたが、そのエネルギーがもてない。でもダサいのも嫌だとミニマリストになる前は色々やっていましたが、やっぱりセンスはなかったなと思います。
ミニマリストになって、どうにかしなければという気持ちからも解放されたのは思いがけずラッキーなことでした。

以上、私が思うミニマリストでいるメリットでした。
お読みいただきありがとうございました!

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【読書】いくつもの週末

江國さんの文章と作品がとても好きです。高校生のころにいつも読んでいたこともあって、今でも読むとあのときの空気感をくっきり思い出します。
1番好きな小説は「薔薇の木枇杷の木檸檬の木」です。


そして1番好きな好きなエッセイは、「いくつもの週末」です。

私と夫の生活は、表面はともかく、日々愛憎うずまいている。

という江國さんの結婚生活がかかれたエッセイ。
夫婦の話ってとてもおもしろくて興味深いなと、友達と話していても思います。どの夫婦にも、夫婦なりの暗黙の了解や、合意形成の仕方や、定番のあそびかたや、はたから聞けばどれも違って、たとえけんかの仕方であってもどこかすてきに聞こえる。いろんな話を聞くにつれ、夫婦のことは夫婦にしかわからない、ということに私がようやく気づいたのは自分の結婚から3年以上は経ったころだったような。

江國さんの小説、私の持っていたイメージは作品全体のトーンとして落ち着いていてどこか物憂げで、色でいうなら暗めのパステルカラーでシックな女性、というものでした。ですがこの本は、ご本人も「結婚は生活が色つきになること」と書かれていることもあるのか、より動的な印象でした。

思わずクスッとなるところも多く(ごはんの話がだいすきです)、間違いなく江國香織さんだとわかりつつも新たな面を知ったような、不思議な感じがしました。

走ることについて語るときに僕の語ること

楽園のしっぽ

とならんで、私のすきなエッセイ3冊のうちの一冊です。

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